『A3』(森達也)

 月刊プレイボーイの連載をまとめて加筆修正を加えたもの。ものすごく大雑把に言えば、麻原彰晃が何を考えていたか追っかけることでオウム真理教の事件が起こった理由を知ろうとした記録、でいいのかな。
 麻原彰晃が精神壊してるとしか思えない描写はすごいね。次女三女を含む面会者の前で自慰を始めるとか、類人猿みたいな行動とか。実の娘を前に自慰をしてみせることが詐病の為の手段とは私は思えないけど。
 著者は、麻原とその取り巻きが互いの心の内を忖度した結果として互いが増幅器として暴走した、というストーリーを描いている。でもこれを読んだ限りではそんな複雑な話ではなくて、最初の死人(本書の記述を読む限りほぼ事故に思える)が出た後にそれを正当化する為に「物語」を構築して、その後に少しずつ大きい「物語」が必要になってそれを維持拡大する為に犯罪を繰り返していただけのように思える。どの宗教にも大きく関わってくる「死」を予想外の形で迎えた時に、社会に認められる形で処理しないで自分達で処理したのが始まりでないのかなー、と(死んだ信者が薬物中毒だったからそれを隠蔽する必要があった?)。もちろん本書でも契機になったことが触れられているけど、自分達が強く関わった形での死を初めて迎えて、頭の中の理論だけでなくそこに動かなくなった死体ができた時に、それに正対できなかったのかな、と思う。
 しかしマスコミを介した恐怖の増幅は色々と考えることがあるなあ。ある程度昔からそういう傾向はあったけど、各局もしくは各番組・各誌が自分たちの得意客に向かって好みのニュースを流すようになって、皆が見たいものしか見なくなるっていうのは良くないのは確かで、ネットはそれにさらに拍車をかけてるのは間違いなくて。そして皆が自分の中で解釈できるストーリーを組み上げてそれにそぐわないものは拒否反応を示して吸収することを止める。もちろん低コストの情報経路を作ることで今まで得ることのできなかった視点から見れてることもあるんだけど、副作用があるのは実感としてはある。時間が経てば解決する問題であることを祈るけど、今のところ絶賛増幅中にしか見えないしなー。世界ってそんなに簡単じゃなくて、身の回りで起きる現象について、自分の中で考えて擦り合わせを死ぬまでやるしかないと思う。それを止めて自分の中で線を引いて頑なにその線を守っていてはいけないし楽しくないと思う。